« 雪の中でなんたらをどうたらしたなにか | トップページ | 国分寺と立川の間 »

2006.01.09

家族の肖像

 立川ルミネ9Fで開かれていた、"めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展 めぐみさん 家族と過ごした13年"を見に行った。
 先月、有楽町で行われていた写真展と同様の内容だ。そっちには行けなかったので残念に思っていたが、立川でも開かれるのを知って行ってみた。

 会場は混んでいたが、数分待つと入ることができた。

 写真を見た最初の数秒で、この催しの意味がとても巨大であることがわかった。

 新聞やテレビで、再三にわたって報道されている事柄だが、メディアの中にあるうちはまるっきりヒトゴトだった。どっかよその国で飛行機が落ちたとか、爆弾が爆発したとか、そういうのと同じで、自分にはまったく関係ない事としてとらえていた。
 だが、この会場で写真を見はじめると、ヒトゴトであるという感覚がただちに失せる。写真はどこかで見た事があるようなものばかり。構図も凝っていない。技術もシロウトだ。

 これらの写真は普通すぎるのだ。何か飾っているわけでもない。演出されているわけでもない。ただ撮りたかったから撮った写真ばかりなのだ。

 当然だ。これは親が娘を撮った、どこにでもある写真だった。こういう写真なら、実家に行けばなんぼでもある。いや、どこの家にもあるだろう、こんな普通の写真は。

  写真を見ていくと、13歳までのものしかない。そこで拉致されたからだ。そこで横田家の時間はいびつな形で停止した。それまでの幸福は未来には続かなくなった。

 写真には、通っていた学校、友達と別れた場所、拉致された場所、家、それらがすべて写っている航空写真もある。その写真を見るとかなり驚いた。拉致された場所は、家から50m。何の変哲もない、そのへんにありそうな丁字路だ。
 ということは、この事件は、誰の身に起こってもおかしくはなかったということだ。あと数分そこを通るのが早いか遅いかしていたら、拉致はなかった、または拉致されていたのは別の人だったかも知れないのだ。

 この問題について、ここまで考えたことはなかった。ただ気の毒である、と考えていただけの自分が情けなさすぎる。
 だが、もう知ってしまったからにはこのままではいられない。拉致を行った者を決して許すつもりはない。拉致を認める者も許すつもりもない。これらの写真の存在を知ってしまったのだ。

 必ず取り戻せるはずだ、横田家で家族がそろった写真が増えて行く時間を。この事は不可能ではない。ゴールが見えている、努力すれば解決可能な問題のはずだ。

 何ができるかわからんが、やれることをやってみよう。やれることを考えてみよう。そう、思った。

(この記事、もっと考えて書いた方がいいとは思うが、今思ったのは以上の事なので記録しておく)

|

« 雪の中でなんたらをどうたらしたなにか | トップページ | 国分寺と立川の間 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14986/8085782

この記事へのトラックバック一覧です: 家族の肖像:

« 雪の中でなんたらをどうたらしたなにか | トップページ | 国分寺と立川の間 »