« ♪酒が市民税〜 | トップページ | ああ神社う神社う »

2010.01.09

2時の彼方に

 星新一のエッセイに、デジタル時計を見る時、頭の中で針(時計)に変換して見ている、というのがあった。

 何十年か前、時計といえば針時計だった時代、確かにそのように見ていた記憶がある。例えばよく時計の写真で使われる10時10分は、短針が300°、長針が60°といった位置にある針を頭の中で想像するのだ。これによって時刻の感覚。太陽の位置、明るさ暗さ、飯まであとどれくらいかといったことを把握するのだ。

 時が流れてコンニチ、針時計よりデジタル時計の方が多くなり、わしんちに至っては針時計が皆無、という状態になった。そのような環境で長らく暮らしていると、針に変換しなくても時刻の感覚がつかめるようになった。どのような能力を獲得したのかはよくわからんが、最早頭の中の針は必要ない。

 先日まで実家に帰っていたのだが、実家は針時計ばかり。このような環境に、デジタル時計慣れの者が行くとどうなるのか。驚くべき事に、頭の中で針を数字に変換するのだ。針時計中心の時代とまったく逆の事が行われてしまうのだ。これは面白い。

 人間は、無意識のうちにさまざまな能力を獲得している。買い物の時財布の中の小銭を最適化するために払うべき額を瞬時に求めるとか、そういうものだ。この時計を読むための能力も、どういうことなのかを言葉で説明する事は難しいが、日常生活を円滑に過ごすためには必須の能力のように思える。

 他の人はどうなのか? 前述のように言葉で説明するのが難しいのでどうきいたものだろうか(笑)

P.S.
 そういや、昔腕時計で針&デジタル両方がついたものがあったな。現在はすたれたが、あれはどっちを見て時刻を把握していたのだろうか。

|

« ♪酒が市民税〜 | トップページ | ああ神社う神社う »

コメント

デジアナはね、
大雑把に知りたい時はぱっと見で判読できる針、
正確に知りたい時はデジタルの方を見るのですよ。

従って、アナログ時計には秒針など要らないのだが、なぜか秒針のないアナログ時計は落ち着かないと言うか…。不思議なもので、時計は常にどこか動いていないと止まっているんじゃないかって不安にかられるのよね。動くものは秒針でも振り子でもよいのだけど。

投稿: kiwi | 2010.01.09 22:43

なんとなく、『クロゴケグモの会』のとあるエピソードを思い出した。

(以降の記述で、物語に関する核心部分が明かされます)


つっても、話の筋はほとんど覚えてないが…
計理士だかが証言を求められて、事件の起こった時刻を「x時半」と言うんだけど
そのとき彼が見ていた時計はデジタル時計で「xx:50」だった…という話。
ふだん“50セント”を“半ドル”と言い換えるように
その人の頭の中には「50=半分」と変換する機能がついていたわけだ。

投稿: 隠密芸魔 | 2010.01.11 07:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14986/47242895

この記事へのトラックバック一覧です: 2時の彼方に:

« ♪酒が市民税〜 | トップページ | ああ神社う神社う »